こんにちは。具現化野郎Bチーム親父トリオのHです。
親父トリオの記事はいつも登山ばかりですが、今回も登山ネタです。
しかし、今回は少し歴史にもふれながら登山日記を記したいと思います。
親父トリオの記事はいつも登山ばかりですが、今回も登山ネタです。
しかし、今回は少し歴史にもふれながら登山日記を記したいと思います。
金剛山
金剛山は、奈良県と大阪府との境目にある標高1,125 mほどの山です。
遠い昔は、高天山(たかまやま)や葛城嶺と言われていました。
奈良県御所市の葛木神社の裏手一帯は神域となっており立ち入ることはできません。
遠い昔は、高天山(たかまやま)や葛城嶺と言われていました。
奈良県御所市の葛木神社の裏手一帯は神域となっており立ち入ることはできません。
千早赤坂村
金剛山の大阪府側には南河内千早赤坂村があります。
ここは日本史南北朝時代に名を馳せた英雄、楠公「楠木正成」の生誕の地であり、
千早城、上赤坂城、下赤坂城の城跡などがあります。
「楠木正成」が生きた時代は、天皇(後醍醐天皇)自らが執政権を持とうと立ち上がった時代です。
当時は源平の戦いを経て源頼朝が鎌倉幕府を開き、武家が政権を持ち執政を行っていた時代がおおよそ150年続いていました。
天皇集権で公卿が執政を行うという、古来の姿に戻すべく立ち上がった後醍醐天皇を支え、活躍した一人が楠木正成です。他に足利尊氏、新田義貞など有力な武家も天皇側につき、鎌倉幕府倒幕が成され、後醍醐天皇中心の『建武の新政』がなされました。
しかし、不公平の多い執政に武家達の不満が募ります。
そして、源氏の棟梁の血筋である足利尊氏を筆頭にする武家社会設立、新たな幕府への希望が高まり、足利尊氏が台頭します。
天皇を主上(おかみ)とし、主上により執政が行われる国のあるべき姿を願う武家と、軍功による領地の安泰を願う武家による執政を願う武家との戦いに次ぐ戦いは、武家による執政を願う武家の頭領である足利尊氏に軍配が上がります。そして室町幕府が開かれます。
その中で希代の英雄「楠木正成」は後醍醐天皇のために戦い、散ります。
戦の場で、権謀術策に長け、最後まで大義を貫いた士として、「楠木正成」は楠公として、英雄化されているのです。
ここは日本史南北朝時代に名を馳せた英雄、楠公「楠木正成」の生誕の地であり、
千早城、上赤坂城、下赤坂城の城跡などがあります。
「楠木正成」が生きた時代は、天皇(後醍醐天皇)自らが執政権を持とうと立ち上がった時代です。
当時は源平の戦いを経て源頼朝が鎌倉幕府を開き、武家が政権を持ち執政を行っていた時代がおおよそ150年続いていました。
天皇集権で公卿が執政を行うという、古来の姿に戻すべく立ち上がった後醍醐天皇を支え、活躍した一人が楠木正成です。他に足利尊氏、新田義貞など有力な武家も天皇側につき、鎌倉幕府倒幕が成され、後醍醐天皇中心の『建武の新政』がなされました。
しかし、不公平の多い執政に武家達の不満が募ります。
そして、源氏の棟梁の血筋である足利尊氏を筆頭にする武家社会設立、新たな幕府への希望が高まり、足利尊氏が台頭します。
天皇を主上(おかみ)とし、主上により執政が行われる国のあるべき姿を願う武家と、軍功による領地の安泰を願う武家による執政を願う武家との戦いに次ぐ戦いは、武家による執政を願う武家の頭領である足利尊氏に軍配が上がります。そして室町幕府が開かれます。
その中で希代の英雄「楠木正成」は後醍醐天皇のために戦い、散ります。
戦の場で、権謀術策に長け、最後まで大義を貫いた士として、「楠木正成」は楠公として、英雄化されているのです。
主上、公卿、武家、農民や商人などが、国の『あるべき姿』に対して様々な『想い』をめぐらせた時代であったのではないでしょうか。
前述で『大義を貫いた士』と記しましたが、『大義』とは何か?
何のための『大義』であるのか?
楠公「楠木正成」は『大義』のために無謀な戦いに赴き、戦いの果てに散ったのか?
本心は分かりません。
しかし、主上の周りにいる佞臣(ねいしん)のために自らの戦略を消され、負ける戦と分かりながらも『何か』を全うした楠公を後世の人々は英雄としたのでしょう。
この話は、日本の歴史文学の中では最長とされる古典文学作品「太平記」に記されています。
小生としましては、この時代に、自分の宿命に翻弄されながら、無類の戦上手と戦強さを誇りながら、強い輝きを放ちながらもやむなく散った、北畠顕家、楠木正成を描いた「破軍の星」(北方謙三著)という、この時代を描いた歴史小説が好きです・・・。
前述で『大義を貫いた士』と記しましたが、『大義』とは何か?
何のための『大義』であるのか?
楠公「楠木正成」は『大義』のために無謀な戦いに赴き、戦いの果てに散ったのか?
本心は分かりません。
しかし、主上の周りにいる佞臣(ねいしん)のために自らの戦略を消され、負ける戦と分かりながらも『何か』を全うした楠公を後世の人々は英雄としたのでしょう。
この話は、日本の歴史文学の中では最長とされる古典文学作品「太平記」に記されています。
小生としましては、この時代に、自分の宿命に翻弄されながら、無類の戦上手と戦強さを誇りながら、強い輝きを放ちながらもやむなく散った、北畠顕家、楠木正成を描いた「破軍の星」(北方謙三著)という、この時代を描いた歴史小説が好きです・・・。
カトラ谷を登って金剛山山頂へ
2017年9月9日土曜日。
AM 8:30、富田林駅に集合し、出発進行、今日は晴天です。
千早赤坂村まで行ったときに昼食を買っていないことに気づき、コンビニまで引き返すハプニングが発生し、登山口駐車場への到着が9:00を過ぎてしまいました。
AM 8:30、富田林駅に集合し、出発進行、今日は晴天です。
千早赤坂村まで行ったときに昼食を買っていないことに気づき、コンビニまで引き返すハプニングが発生し、登山口駐車場への到着が9:00を過ぎてしまいました。
この山の登山道はカトラ谷と言い、階段、ロープ、鎖、橋などが連続します。
AM 11:00、金剛山山頂に到着です。半年ぶりの登山だったので少し疲れました。
色々ありましたが、無事にPM 15:00までに下山することが出来ました。
その土地所縁の歴史があり、生きた人達がいます。その知識を得て、その土地を味わうことも、ハイキングや観光の醍醐味です。今回は楠公「楠木正成」を想いながら、楠公が歩いたかもしれない道を感じながら金剛山を登りました。
その土地所縁の歴史があり、生きた人達がいます。その知識を得て、その土地を味わうことも、ハイキングや観光の醍醐味です。今回は楠公「楠木正成」を想いながら、楠公が歩いたかもしれない道を感じながら金剛山を登りました。
現在、金剛山のサイトから誰でも見ることが出来ますが、1時間ごとに静止画像が配信されています。ライブ映像の配信も行われています。
因みに、この配信に映ってはならない方は金剛山山頂看板と時計には近寄らないことです(笑)。
因みに、この配信に映ってはならない方は金剛山山頂看板と時計には近寄らないことです(笑)。
道中、小さな滝が何カ所もあります。